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航空機

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月10日(日)18時05分21秒
  通報 編集済
  「太平洋横断航空路」。
http://www.flyingclippers.com/
http://www.cnac.org/
一番上はかつてのパン・アメリカン航空の「クリッパーズ」。
香港へ向かう(M130自身がのりいれてもいる。しかし、1939(昭和14)年、
「ハワイ・クリッパー」が謎の失踪を遂げた。)「チャイナ・クリッパー」、
主に「B314」が利用された大西洋線の「ヤンキー・クリッパー」。
伝説の「チャイナ・クリッパー」はサンフランシスコ・アラメダからホノルル・カネオヘ
をとおり、グアム、ミッドウェイ(どちらもこの航路のためだけに開発。豪奢な専用ホテル、
クリッパー艇の保守・点検設備。ホテルではサンフランシスコからラジオが届き、乗客は
くつろいで、冷えたビールやジンジャー・エール、コーラを片手にデューク・エリントン、
グレン・ミラー、コール・ポーターのジャズ、ルーズヴェルトの演説に耳を傾けた、という。
また、最新のジャズの楽譜が太平洋航路客船やこのPAAによってアメリカから、上海の
共同租界に送り込まれた。なおクリッパーの寝台はサンフランシスコ-ホノルルの一泊の
夢幻飛行にのみ使われている。下は当時、PAA傘下航空会社となっていた中華航空(CNAC)。
このCNAC、香港から上海、漢口、重慶路線を展開し、PAAのチャイナ・クリッパーと
連絡運行していました。直通のチケットもあったようですし、航空郵便(エア・メール)にも
「PAA」「CNAC」スタンプや「M130」のスタンプがおされています。
現在も残る上海中央郵便局(郵政大楼)の時計塔には当時「CNAC」「AIR MEIL」の文字が。
「M130」に関心をもった蒋介石はパンナム駐南京支配人を通じマーチンに「M130」を
10艇購入したい」というつての文書をおくります。来るべき日本との戦争にそなえるため、
「爆撃艇」、「蒋介石専用艇」とするはらづもりでした。この話はながれましたが、
国民党空軍はのちに「マーチンB10」を購入しました。
http://vintage-aviation.hp.infoseek.co.jp/us_martin-139w_1932.jpg
この機、中華民国軍の最初で最後の日本空襲をしました。昭和14年に、
当時国民党と共産党の「食客」(国共合作中)となっていた「鹿地亘」が草稿を書いた
「日本降伏勧告ビラ」を北九州上空にばらまきました。なお日本側では国民党軍が徴発した
CNACの「ダグラスDC2」か「DC3」としています。なお、後に日本側にも中華航空
ができています。(本家CNACは○に中の文字を採用していた。戦前は緑、戦時中はオリーヴ・ドライ。
戦後は親会社PAAとおなじ銀色にブルーライン)しかし太平洋戦争開戦直前、
開戦の文書を持った日本陸軍参謀をのせた「上海」
(DC3。日中で双方で使用されたほか、帝國海軍は、
三井を通じ、同機の「ライセンス生産権」を手にいれ「ノックダウン生産」。
「零式輸送機」 http://www.douglasdc3.com/japl2d/japl2d.htm 戦後、国民党に
旧海軍の零式輸送機二二型が接収され、国共内戦中、国民党側に供与されていた、オリジナルの
C47(DC3の軍用機名)とともに飛んでいた。なお、対する中国共産党にも、ソ連が大戦中、
米国から「レンド・リース」で設計図を供与されて、作ったソ連版DC3「リスノフ-Li-2」
が供与されている。 http://www.douglasdc3.com/ )が「墜落」、大騒動になります。
(吉村昭著「大本営が震えた日」)
対し英国の「インペリアル」も飛行艇を駆使したり「HP42」のような豪華機を作りました。
http://www.imperial-airways.com/Menu_page.html
ハンドレィ・ペイジ「HP42」は冷房、ビュッフェを兼ね備えた当時最も豪華な巨人機で、  
クロイドンとカルカッタをむすんでいました。巨人機、はたいていの国で「失敗」するのですが、
この機は長く飛び続けます。戦時中は英国軍の将校クラブになったほど。
また「ショート・S21・メイヨ艇」(ショートは世界有数の飛行艇生産会社。のちにこのショー
トを脅かす飛行艇「九七式大艇」「二式大艇」を「川西」が生産した。ショート・エンパイヤ艇は
インペリアルの使用飛行艇として、シンガポール・豪州線に)上に「ショート・S20・マーキュ
リィ」水上郵便機(どちらもショート社に親子機として特注)を乗せて、南アまで飛ばしています。
http://www.tt-museum.jp/taiyo_0110_ba1936.html
豪州で、インペリアルの「ショート・エンパイヤ」と、PAAの「B314」が出会う写真を
みたことがあるのですが「B314」は「エンパイヤ」の1・5倍ありました。
「B314」は時折臨時便としてじかに上海にもきています。
優雅な大型飛行艇のたびは http://www.tt-museum.jp/epilog_0033_rai1969.html
までつづきました。(僕は個人的には飛行艇のほうがすきですが。どこかで動態保存飛行とか
しないものか・・・。)なお戦時中連合国側飛行艇(PBY5Aカタリナなど)をはるかにしのぐ飛行艇
川西「九七式大艇」「二式大艇」は戦争がなく、ないし17年頃戦局が悪化した「ミッドウェイ海
戦」まえに講和になっていればPAA・インペルアルの旅客艇として使われた、という設も。
戦時中大型飛行艇母艦(水上機母艦)「秋津洲」http://w2322.nsk.ne.jp/qm.masaki/akitsusima4.html のようなのもいたので、(あのでかい「二式大艇」をデリックでつりあげ、後部甲板上において修理できた)
同型を大きくしたものが何隻かPAA・大日本航空・インペリアルにより発注され、洋上での
「M130」「B314」「エンパイヤ」「サンドリンガム」「二式」「九七式」の「整備工場」として使われる可能性もあったかと。
「B307」は第二次大戦前、ボーイングがやっと成功にこぎつけた「スーパー・チャージャー」
(加吸機タービン)「与圧装置」つき航空機。
http://www.tt-museum.jp/war_0060_twa1941.html
そして「悪魔」B29の布石となった、いわば「試験機」でした。当時あのハワード・ヒューズの
所有する「TWA」と「PAA」に納入。しかし10機ほどの生産。
(このうちの一機はヒューズのプライベイト機として豪奢に改造)
戦後PAAはこの余剰となった「B29」を改造し、「B377・ストラト・クルーザー」
というバー・ラウンジ付の「超豪華機」を、そしてTWAは、ヒューズのほれ込んだ、
「ロッキード・スーパー・コンステレーション」を主力にすえます。
http://www.tt-museum.jp/taiyo_0140_klm1937.html
「世界最古の航空会社」KLMオランダ東洋線。
http://www.tt-museum.jp/taiyo_0150_af1938.html
ドヴォアティン338の結んだエールフランス、インドシナ・広東線。
さらには当時ドイツ資本でつくられた「欧亜航空公司」が、ソ連、西域経由で
上海-ベルリンを飛んでいます。 http://www.timetableimages.com/ttimages/euras.htm
ベルリン-モスクワには「フォード・トライモーター」をデカくしたツポレフANT-14が。
http://vintage-aviation.hp.infoseek.co.jp/ussr_tupolev-ant14_1930.jpg
かつての各国航空ステッカー。
http://www.oct-net.ne.jp/~white-h/
 
 
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