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飛行艇

 投稿者:キャセイ  投稿日:2006年 2月21日(火)20時49分45秒
編集済
  戦後、DC3やB29を改造したB377ストラトクルーザーが登場するまで、大陸間や長距離を飛んだのが飛行艇でした。
http://www.geocities.jp/superhydravion/commercal/Hydroaviation.htm
PAAもはじめはシコルスキーを使用しカリブ海を飛んでいます。
日本でも本格的な航空事業はドルニエ・ワールを使用した大阪-上海線でした。
チャイナ・クリッパーM130(草原にも降りられる設計)は3艇しか建造
されませんでしたが兄弟がおりました。M156「ロシアン・クリッパー」。
日本はのち大日本航空が「九七式大艇」を使用、横浜-サイゴン-サイパンなどに
導入。機内食には関内の「八百政)が収めた弁当(朝洋食、昼幕の内)が
配られています。
 
 

イラク流線型機

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 6月 2日(木)00時36分45秒
編集済
  したにかいたワゴン・リ、イスタンブール-アレッポ-バグダッドの
「タウルス急行」を牽引した流線型SLはテンダでして緑だったそうです。
少なくともサダム・フセインのバース党独裁の始まる1年前までは存命してたようです。
http://www.ratrust.org/Photos/Iraq/IRR_Standard_Gauge/irr_standard_gauge.html
の「No.br670332」(バグダッド号)「No.br670328」(エル・モスル号)がそれです。
1940年に大英帝国で4輌作られタイプ「501」。動輪は69インチ、総重量99トン。
マラードが属した「LNER・A4」に「トゥィンシティー400」のヘッドライト部(ライトと飾り)
を付け足したような・・・)
おしくも一機は運搬途中に沈没。
(前年第二次欧州大戦勃発。Uボートに輸送船がやられたのかも)
かつてのイラク鉄道がみられ、珍しい車輌も。最上段左端のDL(ソ連製らしい)の牽引する2輌目
の客車がどうも「ワゴン・リ」タイプにもみえます。
最近の映像にはイラクの鉄道はでてこなかったので・・・。

「アメリカ流線型蒸気機関車」(StreamlinerSteamTrains)
http://www.northeast.railfan.net/steam17.html
http://www.northeast.railfan.net/steam3.html
つんのめりそうなデザイン(列車が高速化するどころか外装が重そうにも・・・・)
http://www.northeast.railfan.net/images/tr_nyc_merc.jpg
http://www.northeast.railfan.net/images/nyc4915.jpg
 

シカゴ-セントポール間

 投稿者:特急あかつき  投稿日:2005年 5月 7日(土)23時39分50秒
  キャセイ様
知っていたわけではないのですが、表紙に使った絵は1939年の7月の時刻表から転載しました。「ツインシティーズ400」が新型流線型客車になる直前のものです。1939年9月24日がDL&流線型客車の初運転で、ちょうど、グリーンの流線型ハドソンが「ツインシティーズ400」を引いているときの絵だと思います。その奥には重量級時代の客車を引いていたSLに400のヘッドマークが付いています。グリーンの流線型ハドソンは1939年の「ツインシティーズ400」がDLに置き換わったあと、UP-SP連絡の大陸横断列車に移ったようです。
ところで、「400」とは、シカゴ-セントポール・ミネアポリス(ツインシティーズ)間が400マイルであったこと、そこを400分で走っていたことから名づけられたシカゴノースウェスタン鉄道の看板列車でした。この区間は、ミルウォーキー鉄道(Chicago, Milwaukee, St.Paul & Pacific)とバーリントン鉄道(Chicago, Burlington & Quincy)鉄道との3社競合区間で、流線型を投入しての激戦区間でした。バーリントン鉄道は、ショベルノーズの流線型ディーゼル特急「ツイン・ゼファー」を1934年11月11日に投入、ミルウォーキー鉄道では1935年5月29日、ビーバー・テイル展望車を従えた流線型編成のハイアワサが運転を開始。最後に近代化された「400」の参入によって競合レースは加熱していったというわけです。そんな話も、現地で見つけた現存車輌の写真も交えてページに加えたいと思っています。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~travel-100years/index.html

 

流線型列車の時代

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 5月 7日(土)17時31分21秒
編集済
  ぜひ。
http://www.nttpub.co.jp/vbook/list/detail/4112.html
ものすごい「バケモノ」から「マラード」「パシナ」「20世紀」など。
このなかに表紙のシカゴ・ノース・ウェストの「トウィン・シティー400」も。
シャベル・ノーズ・トップの流線型牽引機で38年(昭和13年)にミネアポリス行き
「トウィン・シティー400」
(二重屋根(ダブル・ルーフ)の旧型客車・デッキ展望車編成)を牽引。
http://www.northeast.railfan.net/images/cnw4008.jpg
http://www.northeast.railfan.net/images/nw.jpg
(こっちはプルマン寝台車らしきものが連結されてるのでUP-SP直通大陸横断特急かもしれません)
しかしたった1年でDLに変更・・・。しかもミルウォーキィの「ハイアワッサ」の
アトランティックの「パクリ」とすら揶揄されたそうです。
緑で美しい機ですが、シカゴ・ノースウェストはDL化と同時に流線型客車に。
(この機関車と同じ流線型客車に出来なかったものか)
この本にはかなり「レア」なのがたくさん載っているのですが、
そのなかでもイラクの「流線型機」が。いたのは知っているんですが、写真は
みたことがありませんでした。
大英帝国の「マラード」ことA4クラスをタンク機にしたイメージで、
イスタンブール(ハイダルパシャ)-アレッポ-バグダッドの「タウルス急行」
の最後のイラク国内区間を牽引。当時イラクは英国よりの国でした。
 

アメリカ大陸横断鉄道

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月20日(水)15時27分14秒
編集済
  けっこうおもしろい(珍しい)写真があったので・・・・。
http://algomacentral.railfan.net/images/DesertRails/ice.jpg
1993年8月31日にアルゴマ・セントラル鉄道に入線したドイツICE編成。
「リゾート・エクスプレスゆう」の水郡線入線を思わせるシーン。
(ほかにもデンマークIC3などの高速車輌が米国にきている。なお、一時的にフランスでTGV
をDLが牽引した区間がかつてありました。)
http://algomacentral.railfan.net/images/NewPhotos/pv2.jpg
http://algomacentral.railfan.net/images/NewPhotos/pv4.jpg
http://calzephyr.railfan.net/ghosts/slariattellis2.jpg
したに書いたプライヴェート・カー協会「AAPRCO」の1998年のスペシャル編成
だそうで、かつての西日本・広島の「珍ドコ列車」をはるかに上回るカラフルさ。
ヘヴィー・ウエイト・プルマンやストリームライナー、コルゲートがまじり、
塗色もノーザンあり、CNあり、D&RGあり、CaliforniaZephyrあり・・・。
僕はアメリカの鉄道がすきですね。満鉄のお手本ですし、ダイナミック。
ああいう風にいろんな名門鉄道塗色の客車をつないでEMD・ドッグノーズDLや
SLに牽引させてカナダやメキシコにも行くし、古い写真だと貨車航送船に機関車までのせる、
(そしてフックなんかかけない)という日本ではタブーだったこともする。
(さらに日本では機関車(回送)航送時はできるだけ航送貨車を減らした)
鉄道はたしかに長距離では交通機関としては落ち目になりました。
しかし趣味・ホビー・旅行の面では王者となっていますし、(あんな観光列車があるくらい)
鉄道会社がやむなく廃止した鉄道を買い取って観光鉄道として走らせ、
そこにああいうプライヴェートもくる。
どうしてもいまのJR系の車輌になじめない自分には古い車輌のほうが。
(乗る列車がJR型キハ120よりも名車キハ58があたったら嬉しいし)
アメリカにしてもアムトラの2階建てよりEMDドッグノーズの牽引するCaliforniaZephyr
のほうがかっこいいし、船だっていまのクルーズ型より「氷川丸」「クイーン・メリー」の
戦前の型の方が何十倍も素晴らしい気がします。
 

米国大陸横断鉄道

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月18日(月)19時17分10秒
編集済
  1860年代から1960年代までアメリカは鉄道に依存してきました。
「アメリカが鉄道を造り、鉄道はアメリカを造った」といわれるほどに。
http://www.northeast.railfan.net/home.html
http://mikes.railhistory.railfan.net/home.html
どちらもすばらしいですが、とくに「RailHistory」には世界各国の鉄道の
1940年代以前の写真が収蔵されています。満鉄がすくないのはきついのですが、
それでも中国のものが清末から中華民国期のものがのっています。
また有名なフロリダからさき、のキーウェストの崩壊した鉄道橋の現役の時代も。
終着点でキューバのハヴァナに向かう船に接続。つまりパンナムの強力なライバル。
日本のものには、日本でも写真の少ない「活魚車」が。(貨車に詳しい方に聞いたところ
「絵はがき」から転載したのだろう、とのこと)
米国のにはノーザン「エンパイア・ビルダー」、サンタフェ「スーパー・チーフ」、
UP「M10000」、などなど。「ノース・イースト」にはエンパイヤ・ビルダーや「20世紀特急」
牽引時の流線型蒸気機関車の写真も。また有名なB&O、ボルティモア・アンド・オハイオの
「E3」ディーゼル牽引列車なども。
http://calzephyr.railfan.net/ 史上名高い名列車「CaliforniaZephyr」。
「ゼファレット」と呼ばれる日本の「つばめ・はとガール」の様な添乗員をのせて
サンフランシスコ-シカゴをWP・D&RG・CB&Q・PULLMANの運営で走った名列車。
あまりの人気にNゲージの雄、「KATO」米国法人「KATO・USA」が11輌フルを模型化。
http://www.katousa.com/n-scale/CZ.html
http://www.katousa.com/n-scale/F3-CZ.html (同時に発売されたCB&QのF3)
荷物車(バゲィジ)のうしろから、いきなりドーム・カーが4輌連なり最後尾のオブザベィションを含めると5輌の「ドーム・カー」。共同運営ですが「北斗星」のように一編成が1社所属でなく、一編成に
CB&Q、D&RG、WP、PUllMANの所有車輌がまじり、車輌乗降デッキ付近にその車輌の所有会社がマーキングされていました。
(ラストの「デンヴァー・アンド・リオグランデ・ゼファー」時代はD&RG色車輌が連結され、
「ドーム・カー」が1輌増車されて、6輌になり、寝台車などが減車、栄光の
「CalifolniaZephyr」のプレートと、「バックサイン」がなくなりました。なお、大陸横断特急にはSantafe「SuperChife」のように「エクスプレス・リーファー」という「高速冷蔵車」も連結されたものもありました。)
http://www.geocities.com/goodguy1050/glennmiller.htm
わたしがジャズ狂いになったきっかけのグレン・ミラー。このなかにある、
「Chattanoga choo choo」は1928年初の「ゴールド・ディスク」をミラーにもたらします。
直訳で「チャタヌーガ行きの汽車ぽっぽっ」。汽車ぽっぽっの「choo choo」は幼児語です。
(アメリカの作家ヴァージニア・リーヴァートンの「いたずら機関車ちゅうちゅう」が有名。
これにはUPのM10000が登場します。副音館書店より。
またアクロバット演技で有名だった「ニコラス・ブラザーズ」(ハロルドとフェイアード。
あのキャブ・キャロウェイと同時期)も
この「チャタヌーガ・チュー・チュー」をおどってヒットしました)
デューク・エリントンもニューヨーク地下鉄「A番線」(ハーレム行き)を題材にした
「Take The A Train」が有名(作曲はエリントン楽団のビリィ・ストレイホーン)。
(「デューク」は侯爵。ちなみにカウント・ベイシーの「カウント」は伯爵)
チャタヌーガはテネシー州州都で、古くから鉄道の要衛でもありました。
南北戦争中北軍はこのチャタヌーガとアトランタを襲っています。
よく列車のヘッドマーク、テールマークといいますが、両方ついているのは日本だけだそうで。
アメリカはこのテールこと「バックサイン」が大好きでした。戦後の進駐軍専用列車
「ヤンキー・リミテッド」「ディキシー・リミテッド」「アライド・リミテッド」、
そして第8軍司令官専用「オクタゴニアン」にはちゃーんと「バックサイン」が用意されました。
(本来はただの絵だけでなく「ネオンサイン」になっていて光る)
(「オクタゴニアン」のものは大宮の交通博物館に「保存」されています。
接収時つけていた「10号」(展望)御料車とともに)
一方ヘッドマークを好むのは大英帝国で「ゴールデン・アロー」「フライング・スコッツマン」
(ナチスドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)のドルニエDo17やユンカースJu87「シュツーカ」、
メッサーシュミットBf109が襲ってきても定時発車を頑固に守った)「チェルトナム・フライヤー」
「デヴォン・ヴェル」「ロイヤル・メイル」などに用いられています。
「レッド・ライン」というのがありますが、これは大英帝国の乗り物と、大英帝国の領土経由
(一部大日本帝国の横浜・神戸・長崎を使用)だけで世界一周できる、というものでした。
http://www.semg.org.uk/coach/pull_1.html
大英帝国のPULLMAN編成「デヴォン・ベル」(南の美人)が米国に行った事があったようです。
(しかし、ノーザンの「ノースコースト・エクスプレス」に「浴室」や「ソーダ・ファウンテン」
があった、とは・・・。アメリカでは「ドラッグ・ストア」の奥にこういったソフトドリンク・バー「ソーダ・ファウンテン」があり(日本ではモロゾフが起源で資生堂と不二家が戦前にはじめた)、
はじめは「ドクター・ペッパー」、「コカ・コーラ」、「カナダドライ・ペール・ジンジャーエール」(米国ではすべて別会社)を売っていました。そののち、「セブン・アップ」、「マウンテン・デュー」、「ペプシ」。(1903年まで、コカコーラは「コカ」葉成分(コカイン含む)を使用していて、連邦政府から発禁をくらい、「コカ」葉成分はぬき、いまだ極秘レシピで名高い香料「7x」を使用した原液「フォーミュラ」が造られました。(一度だけ「カンザス計画」で変更されました。)「スカッ」とするのは「コカイン」でなく大量の糖分。
(なお「ファンタ」は39年の第二次大戦で「フォーミュラ」の原液を購入できなくなった
ナチスドイツ生まれです。ヒトラーが飲んだかはわかりませんが)
http://calzephyr.railfan.net/cars/menu-pullman-01b.jpg
1953年3月2日の「CaliforniaZephyr」の最後尾展望車にボーイが持ってきてくれる
「PullmanService」(多分Pullman寝台車客室にも)のリーフレットですが、ワイン赤白、
ビール、ウィスキー(バーヴォン・スコッチ・アイリッシュ)、カクテル、ソフトドリンク、
葉巻・たばこetc・・・。さらに右上には「アスピリン・小箱」とあります。
言うまでもなくアメリカ人の大好きな「頭痛薬」。ドイツ・バイエル製薬が開発したのですが、
第一次大戦賠償として、製造・販売権が米国にわたってしまいました。
(下に注意書きがあって、「「アスピリン」を合衆国(States)国外で売買(或いは持ち出す?)
することは連邦法で禁じられております」のような記述が。)
RegulationS=米証券取引委員会命令S-X項。
 

勉強させていただきます

 投稿者:特急あかつき  投稿日:2005年 4月16日(土)23時54分58秒
  キャセイ様 の詳しい書き込みを読ませていただくと、私などはまだまだ勉強不足だなと実感いたします。いろいろなことを教えていただきありがとうございます。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~travel-100years/index.html

 

満鉄・鮮鉄・日本郵船

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月13日(水)14時46分21秒
編集済
  ここを!
http://www13.plala.or.jp/dk_tabi/annai.html

昭和15年、当時日本郵船・大阪商船のドル箱だった「上海・大連航路」が一本化されて、国策の
「東亞海運㈱」が設定されました。郵船長崎-上海線も組み込まれ「長崎丸」「上海丸」が郵船時
代と同じく運航され、上海側着船も「郵船マートゥ」が変わらず使用されます。
昭和16年12月8日の太平洋戦争開戦時、上海・黄浦江では日本海軍と英海軍砲艦「ペトレル」
の戦闘の後ろで200隻に及ぶ連合国側船舶が日本に接収されています。
このさい、米国ダラー・ライン(1942年カリブ海で同社の「プレジデント・クーリッジ」が連合国
が敷設した機雷にふれて沈没する事故がおきている)の「プレジデント・ハリソン」が上海を強行
脱出してマニラに向かおうとしました。しかし、後ろから「長崎丸」に追尾され、日本海軍に拿捕
されています。のちに「勝鬨丸」として輸送船となり米海軍に「撃沈」。
さらに日本の同盟国ナチスドイツに敗北し、親独政権だったフランスのMMラインの船も日本に接
収されました。
「アラミス」、「ダルタニニャン」「ルコント・ド・リール」「ベルナルダンド・サンピエール」
の4隻。「アラミス」は「帝亜丸」、「ダルタニニャン」が「帝興丸」、「ベルナルダン・ド・サンピエール」が「帝美丸」、「ルコント・ド・リール」が「帝立丸」となります。
またドイツ汽船「シャルンホルスト」「フルダ」「トール」「ウッカーマルク」などが日本に譲渡ないし日本で沈没。「シャルンホルスト」は空母「神鷹」に、「フルダ」は「帝海丸」、
「トール」はドイツ仮装巡洋艦、「ウッカーマルク」はナチス・ドイツから日本に向かった「(英国海軍)封鎖突破船」の生き残り、特に「トール」は途中、英連邦軍・オーストラリアP&Oのタンカー「ナンキン」(南京)を拿捕し「ロイテン」と改名して横浜入港。(インドの英連邦軍向けの缶詰、肉、パイナップルなどの物資を山積み。かつタンカーなので燃料もあったと思われる)しかし、17年(1942)11月30日に「ウッカーマルク」が大爆発をおこし、「トール」「ロイテン」「第三雲海丸」をまきこむ事故になりました。
ほかにオランダからの拿捕船「オプテンノール」(天応丸)、18年のイタリア降伏により、上海で自沈したが、帝国海軍が引き揚げたイタリア客船「コンテ・ヴェルデ」(日本名不明)が「病院船」
として活躍しました。
 

揚子江航路

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月11日(月)15時42分45秒
  清末~中華民国期、揚子江には外国の商船会社が汽船をはしらせています。
http://www.talesofoldchina.com/journal/193710/t-371014.htm
有名なのはアヘン戦争をおこした、とされる「ジャーディン・アンド・マセソン」、
筑豊炭を上海に運び、かつ「からゆきさん」を密航させていた、といわれる
「バターフィールド・アンド・スワイヤー」、そして日本郵船系の「日清汽船」など。
上海~南京(下関)~漢口~宣昌~重慶。
しかしこのいったいは清末から、37年(日中戦争勃発)くらいまで軍閥の跳梁跋扈、
中国人民衆の武装蜂起などで、列強の租界と居留民はたびたび危険にさらされます。
そのため、各国列強は「河用砲艦」を揚子江に派遣しました。
(大英帝國海軍は香港と、広東警備のため、「珠江」にも砲艦を派遣。
ポルトガルもマカオ警備のため砲艦を。これら英ポの砲艦は太平洋戦争勃発で、英艦は、
日本に鹵獲、ポルトガル艦は日本に売却されます)
日米英仏伊の艦が揚子江には太平洋戦争勃発までいました。第一次大戦前には、
ドイツも漢口に租界を有していたため、青島のドイツ東洋艦隊(有名な「エムデン」が所属)
にも3隻の「河用砲艦」が所属しています。
これらは映画「砲艦サンパブロ」の世界。英語で「ヤンツー・パトロール」とよばれました。
昭和12年の日中戦争により、米艦「パネー」が日本海軍機に誤爆・撃沈される「パネー事件」、
さらに中華民国海軍砲艦「中山」(孫文のこと)が重慶(開戦まで日本租界)付近で日本軍に撃沈。
昭和16年12月8日には上海で英国東洋艦隊の「ペトレル」と米国太平洋艦隊「ウェーキ」の
2隻(どちらも主力艦隊の上海脱出後、留守番で残っていた)と帝國海軍砲艦「勢田」、
駆逐艦「漣」、巡洋艦「出雲」が戦闘になり、「ペトレル」はあくまで「抗戦」し「撃沈」、
「ウェーキ」は降伏して、日本海軍「多々良」に。なお、開戦後、米海軍砲艦「ツツイラ」は
重慶に避難。ここで米国大使館とOSS(戦略情報局。CIAの前身)としてアメリカと中華民国の
中継基地として活躍しています。
http://www.navsource.org/archives/12/12idx.htm
(米国砲艦。「パネー」「ツツイラ」など)
 

激動の時代

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月11日(月)00時16分57秒
編集済
  http://trainweb.org/web_lurker/WebLurkersDOMEmain/
http://www.trainweb.org/hiawatha/skyopening.html
2段目にその「CoffeeCreek」がのっています。
情けない話ですが当初ミルウォーキーカラーをUPのものと誤解したり。
アメリカの鉄道は利便性や西部開拓のために、システム化され、
欧州や日本の一輌一輌に魂を込めて精密なのを造る、というのより、ダイナミックで力があり、
互換性を持つというものでした。
「カリフォルニア・ゼファー」のオブザベイションは「プライベート・カー」に。
「プライヴェート・カー」はアムトラック、貨物列車に「何マイル何ドル」で併結運転されます。
米国には「AAPRCO」という「プライヴェート・カー」所有者の協会があり、同会の
サイトでそのかっこいい客車(ほとんどはかつての鉄道会社社長専用車「ビジネス・カー」。
社長がこんなのにのってるから経営傾いた、と揶揄された)をみられます。
http://www.aaprco.com/
アムトラックの味気ない「スーパー・ライナー」の最後尾にプルマンのヘビー級展望車が連結されている写真はすばらしいです。またこれら、プライヴェート・カーの車輌をつなぎ機関車を借りて全米を走る「スペシャル・トレイン」の運行も行われています。会報も発売しているようです。
現ジョージ・ブッシュ・ジュニア47代大統領の第一期の選挙遊説のとき、
サンタフェ鉄道のビジネスカー2輌が、借り切ったアムトラックの「ジェネシス」DL牽引のスーパーライナー(むろん、ビジネスカー側は一階部分に貫通路があるタイプ。スーパー・ライナーは当初のころ旧サンタフェの「エル・キャピタン」仕様車にならい、在来客車との併結のため片側が2階、もう一方は1階に貫通路が設定されたスーパー・ライナー車が製作されている)の最後尾に連結されて使われ、走行中も展望デッキ部分にはシークレット・サーヴィスが乗っている写真があります。

「カリフォルニア・ゼファー」はウエスタンパシフィックが始めに脱落、最後はデンバー&リオグランデ鉄道内の運行でした。そしてそののち、一編成メキシコに売却され、「アステカ急行」という観光列車としてドッグノーズの「E3型」が牽引していました。
欧州ではCIWLが有名。
http://perso.wanadoo.fr/roland.arzul/ciwl/index.htm
「オリエント・エクスプレス」、
「フレッシュ・ドール」(カレー-パリ)
「ナイト・フェリー」(ロンドン-ドーバー~(航送)~カレー-パリ)
「エトワール・デュ・ノール」(パリ-ブリュッセル-アムステルダム)
「スュード・エクスプレス」(パリ-マドリード・リスボン)
「ノード・エクスプレス」(パリ-ベルリン、カウナス(リトアニア)リガ(ラトヴィア)
など。このうち、「エトワール・デュ・ノール」「ノード・エクスプレス」の
カッサンドルの手によるポスターは「深夜特急」のカバーにフランスCGTライン
「ノルマンディ」とともに採用されていてご記憶かと。
さてドーバーを航送される「ナイト・フェリー」
http://www.eastbank.btinternet.co.uk/ferry.htm
は深夜にロンドン・ヴィクトリヤを出発、ドーバーを英国国鉄船で航送され、カレーにつき、
パリ、ブリュッセルにむかうものでした。運行開始は1936年。
しかし英国の車輌はヨーロッパ大陸のものにくらべて一回り小さいのでワゴン・リは同社最高級の
「Lxシリーズ」の小型「クラス・F」を建造しました。ですが39年ナチスドイツとの間に
第二次欧州大戦が勃発、ダンケルク港が破壊されて、一端途絶え、戦後復活いたしました。
最後にここを。http://www.chinarailway.jp/index.html
「中国鉄道研究」。掲示板にわたしも参加させてもらってます。
なんとあの釜山と北京を結んでいた急行「大陸」の最後尾の一等展望車「テンィネ2」
(あの「あじあ」の一等展望車「テンィ8」をベースに設計された。中国国内には「テンィ8」も残っている)が2輌ものっていますし、「大陸」の食堂車らしき車輌も。これらは北京の鉄道博物館前の留置線に中華人民共和国最高指導者用「貴賓車」たちとともにとまっているのでいづれ、整備、補修され展示される、といいのですが。博物館に収蔵されている「周恩来総理閣下専用車」ももとは「大陸」の二等寝台車といわれています。
なお朝鮮の新義州と満州国の安東にかかる鴨緑江橋梁は朝鮮側から9つ目のトラスが90度
回転していて、有名でした。ここを「ひかり」「のぞみ」「大陸」「興亜」が行き交ったのです。

「英米連絡船」客船のファンネル・カラー(煙突の塗色。これで各船会社を見分ける。)からすると、停泊中の客船はあの「タイタニック」のホワイト・スター・ラインにみえます。
「タイタニック」にはご存知のとおり、「オリンピック」「ブリタニック」という姉妹船が
いました。アイルランド・ベルファストにて建造。また当時はドイツNDLが始めた「4本煙突」が人気で一生涯いちどの旅になる移民たちのなかには「4本煙突でないといやだ」という人も多く各国客船会社はわざわざ「ダミィ煙突」までのせて「3本、4本煙突船」をしあげました。
「オリンピック」は生涯をまっとうします。「タイタニック」は有名・・・。
3番船の「ジャイガンティック」は「ブリタニック」と名前を変更。しかし第一次大戦中、
病院船勤務についていたときに、ドイツ帝國海軍のUボートに撃沈されました。
 

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