teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


アメリカ鉄道も面白いです

 投稿者:特急あかつき  投稿日:2005年 4月10日(日)19時14分15秒
  はじめまして、キャセイさん。
私のサイトの分野にとても詳しくていらっしゃるのには驚きです。
参考にさせていただきたいことだらけです。
ご指摘のとおり、表紙では米国からは50年代後半のカリフォルニアゼファーのパンフと30年代後半のシカゴノースウェスタンの時刻表から絵を取っています。また旧植民地地域では鴨緑江鉄橋の朝鮮側、あじあ号、北日本汽船発行の吉田初三郎の鳥瞰図、欧州からはアントワープ中央駅、英米連絡船の船車連絡の絵葉書から絵を取りました。
ミルウォーキーロードは私も好きで、スカイトップラウンジを10年程前、デンバー駅にたまたま停まっているのを見かけたときはびっくりしました。また、デトロイトでも元のCNの連絡渡船の上に2台が並んでレストランになっているのを7・8年前に見たことがあります。UPのかつての9000型ドームラウンジ最後尾車もカウンシルブラフで見たことがあります。昔の客車が、プライベートトレインではまだまだ活躍しているようで偶然見かけるとうれしくなります。バーリントンのゼファーでは、シカゴの科学博物館で保存されていた9900が70年前の姿で車内公開、イリノイ鉄道博物館では特定日にかつてのツイン・ゼファーの客車に乗車して線路を運転するのが楽しめます。米国の鉄道もなかなか面白ですよね。
これからも、よろしくお願いします。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~travel-100years/index.html

 
 

航空機

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月10日(日)18時05分21秒
編集済
  「太平洋横断航空路」。
http://www.flyingclippers.com/
http://www.cnac.org/
一番上はかつてのパン・アメリカン航空の「クリッパーズ」。
香港へ向かう(M130自身がのりいれてもいる。しかし、1939(昭和14)年、
「ハワイ・クリッパー」が謎の失踪を遂げた。)「チャイナ・クリッパー」、
主に「B314」が利用された大西洋線の「ヤンキー・クリッパー」。
伝説の「チャイナ・クリッパー」はサンフランシスコ・アラメダからホノルル・カネオヘ
をとおり、グアム、ミッドウェイ(どちらもこの航路のためだけに開発。豪奢な専用ホテル、
クリッパー艇の保守・点検設備。ホテルではサンフランシスコからラジオが届き、乗客は
くつろいで、冷えたビールやジンジャー・エール、コーラを片手にデューク・エリントン、
グレン・ミラー、コール・ポーターのジャズ、ルーズヴェルトの演説に耳を傾けた、という。
また、最新のジャズの楽譜が太平洋航路客船やこのPAAによってアメリカから、上海の
共同租界に送り込まれた。なおクリッパーの寝台はサンフランシスコ-ホノルルの一泊の
夢幻飛行にのみ使われている。下は当時、PAA傘下航空会社となっていた中華航空(CNAC)。
このCNAC、香港から上海、漢口、重慶路線を展開し、PAAのチャイナ・クリッパーと
連絡運行していました。直通のチケットもあったようですし、航空郵便(エア・メール)にも
「PAA」「CNAC」スタンプや「M130」のスタンプがおされています。
現在も残る上海中央郵便局(郵政大楼)の時計塔には当時「CNAC」「AIR MEIL」の文字が。
「M130」に関心をもった蒋介石はパンナム駐南京支配人を通じマーチンに「M130」を
10艇購入したい」というつての文書をおくります。来るべき日本との戦争にそなえるため、
「爆撃艇」、「蒋介石専用艇」とするはらづもりでした。この話はながれましたが、
国民党空軍はのちに「マーチンB10」を購入しました。
http://vintage-aviation.hp.infoseek.co.jp/us_martin-139w_1932.jpg
この機、中華民国軍の最初で最後の日本空襲をしました。昭和14年に、
当時国民党と共産党の「食客」(国共合作中)となっていた「鹿地亘」が草稿を書いた
「日本降伏勧告ビラ」を北九州上空にばらまきました。なお日本側では国民党軍が徴発した
CNACの「ダグラスDC2」か「DC3」としています。なお、後に日本側にも中華航空
ができています。(本家CNACは○に中の文字を採用していた。戦前は緑、戦時中はオリーヴ・ドライ。
戦後は親会社PAAとおなじ銀色にブルーライン)しかし太平洋戦争開戦直前、
開戦の文書を持った日本陸軍参謀をのせた「上海」
(DC3。日中で双方で使用されたほか、帝國海軍は、
三井を通じ、同機の「ライセンス生産権」を手にいれ「ノックダウン生産」。
「零式輸送機」 http://www.douglasdc3.com/japl2d/japl2d.htm 戦後、国民党に
旧海軍の零式輸送機二二型が接収され、国共内戦中、国民党側に供与されていた、オリジナルの
C47(DC3の軍用機名)とともに飛んでいた。なお、対する中国共産党にも、ソ連が大戦中、
米国から「レンド・リース」で設計図を供与されて、作ったソ連版DC3「リスノフ-Li-2」
が供与されている。 http://www.douglasdc3.com/ )が「墜落」、大騒動になります。
(吉村昭著「大本営が震えた日」)
対し英国の「インペリアル」も飛行艇を駆使したり「HP42」のような豪華機を作りました。
http://www.imperial-airways.com/Menu_page.html
ハンドレィ・ペイジ「HP42」は冷房、ビュッフェを兼ね備えた当時最も豪華な巨人機で、  
クロイドンとカルカッタをむすんでいました。巨人機、はたいていの国で「失敗」するのですが、
この機は長く飛び続けます。戦時中は英国軍の将校クラブになったほど。
また「ショート・S21・メイヨ艇」(ショートは世界有数の飛行艇生産会社。のちにこのショー
トを脅かす飛行艇「九七式大艇」「二式大艇」を「川西」が生産した。ショート・エンパイヤ艇は
インペリアルの使用飛行艇として、シンガポール・豪州線に)上に「ショート・S20・マーキュ
リィ」水上郵便機(どちらもショート社に親子機として特注)を乗せて、南アまで飛ばしています。
http://www.tt-museum.jp/taiyo_0110_ba1936.html
豪州で、インペリアルの「ショート・エンパイヤ」と、PAAの「B314」が出会う写真を
みたことがあるのですが「B314」は「エンパイヤ」の1・5倍ありました。
「B314」は時折臨時便としてじかに上海にもきています。
優雅な大型飛行艇のたびは http://www.tt-museum.jp/epilog_0033_rai1969.html
までつづきました。(僕は個人的には飛行艇のほうがすきですが。どこかで動態保存飛行とか
しないものか・・・。)なお戦時中連合国側飛行艇(PBY5Aカタリナなど)をはるかにしのぐ飛行艇
川西「九七式大艇」「二式大艇」は戦争がなく、ないし17年頃戦局が悪化した「ミッドウェイ海
戦」まえに講和になっていればPAA・インペルアルの旅客艇として使われた、という設も。
戦時中大型飛行艇母艦(水上機母艦)「秋津洲」http://w2322.nsk.ne.jp/qm.masaki/akitsusima4.html のようなのもいたので、(あのでかい「二式大艇」をデリックでつりあげ、後部甲板上において修理できた)
同型を大きくしたものが何隻かPAA・大日本航空・インペリアルにより発注され、洋上での
「M130」「B314」「エンパイヤ」「サンドリンガム」「二式」「九七式」の「整備工場」として使われる可能性もあったかと。
「B307」は第二次大戦前、ボーイングがやっと成功にこぎつけた「スーパー・チャージャー」
(加吸機タービン)「与圧装置」つき航空機。
http://www.tt-museum.jp/war_0060_twa1941.html
そして「悪魔」B29の布石となった、いわば「試験機」でした。当時あのハワード・ヒューズの
所有する「TWA」と「PAA」に納入。しかし10機ほどの生産。
(このうちの一機はヒューズのプライベイト機として豪奢に改造)
戦後PAAはこの余剰となった「B29」を改造し、「B377・ストラト・クルーザー」
というバー・ラウンジ付の「超豪華機」を、そしてTWAは、ヒューズのほれ込んだ、
「ロッキード・スーパー・コンステレーション」を主力にすえます。
http://www.tt-museum.jp/taiyo_0140_klm1937.html
「世界最古の航空会社」KLMオランダ東洋線。
http://www.tt-museum.jp/taiyo_0150_af1938.html
ドヴォアティン338の結んだエールフランス、インドシナ・広東線。
さらには当時ドイツ資本でつくられた「欧亜航空公司」が、ソ連、西域経由で
上海-ベルリンを飛んでいます。 http://www.timetableimages.com/ttimages/euras.htm
ベルリン-モスクワには「フォード・トライモーター」をデカくしたツポレフANT-14が。
http://vintage-aviation.hp.infoseek.co.jp/ussr_tupolev-ant14_1930.jpg
かつての各国航空ステッカー。
http://www.oct-net.ne.jp/~white-h/
 

はじめまして。

 投稿者:キャセイ  投稿日:2005年 4月10日(日)14時42分49秒
編集済
  こういうサイトは本当に貴重なので。ためになります。
自分23なのですが戦前に強い興味があります。
とくに租界上海や満州国。
とくに管理人様の「特急あかつき」、朝鮮総督府鉄道局が走らせていた特急列車。
「パシシ」がたSLに独特の流線型をかけ、さらに新型の「3型」軽量客車と、
炭水車の背丈をあわせました。あきらかに満鉄の「あじあ」を模したのですが、
こちらはゆれがひどかったそうです。なお韓国にこの最後尾の展望車が
(釜山-京城-平壌-新義州-安東-奉天-新京(昭和18年ハルピンへ延長))
の「ひかり」の展望一等寝台車とともに保存されています。
表紙にアメリカの列車がでていましたが、銀色の、ロッキーをかけあがるのはたぶん
「カリフォルニア・ゼファー」かと。 http://calzephyr.railfan.net/
(最後尾展望車の一輌前のプルマン寝台車はシカゴで「NYC」か「PRR」のニューヨーク行きに連結しなおされた、「大陸横断寝台車」。1890年代より、長距離優等列車に連結しなおされる「プルマン寝台車」が多数あった。NYCの「コモドア・ヴァンダービルト」にサザン・パシフィックの乗り入れ車が混じっていたり。有名なサンタフェの「スーパー・チーフ」、UPの「チャレンジャー」にも「大陸横断寝台車」が。玄関にある、UPの「シティ・オブ・サンフランシスコ」(かの有名なUPの「M10000」シリーズの1編成だが、プルマン寝台車の連結が多くなり「気動車特急」というより、DL牽引客車列車に近くなっている。http://homepage3.nifty.com/tract/ptrain.htm (プルマンの誕生やバーリントン「ゼファー」、UP「M10000」シリーズの興亡、さらにロス近郊の一大電鉄「太平洋電鉄」も。「ゼファー」とは「そよかぜ」。1930年代当時流線型がはやったが、自動車での草分け的存在だった「リンカーン・ゼファー」がある。アジアでは上海に多く輸出された。)のように先頭部にUP以外の鉄道会社のエンブレムがついているように、いくつかの鉄道会社にまたがる長距離も。

このころ世界的に気動車特急がはやり、鉄道省も「キハ43000」を、満鉄は有名な「ジテ」編成を。さらにナチスドイツでは「フリーゲンデル・ハンブルガー」。
フランスは植民地インドシナのサイゴン~ハノイ~広東に「オート・ライユ」というゴム車輪
使用のミシュラン、ダンロップ製の豪華気動車特急を走行させていました。冷房・ビュッフェ付。
さらにシャム国鉄・バンコクと英領マラヤ鉄道庁をとおりシンガポール英国海峡植民地を結ぶ豪華寝台特急には早々にドイツ製ディーゼル機関車が使用されました。

ミルウォーキーの「オリンピア・ハイアワッサ」
http://www.geocities.com/skytop45/olympian/OlympianHi1.html
(リーフレットをクリックすると、次が出ます。「Skytop」はミルウォーキーから一部が「CN」こと「カナダ国鉄」に売却され、「スーパー・コンチネンタル」で使用)
 

掲示板開設

 投稿者:特急あかつき  投稿日:2005年 4月 9日(土)23時29分51秒
  掲示板を開設しました。鉄道、船舶、航空の古い話、新しい話、日本そして海外、いろいろお書きください。情報提供お願いします。ホームページで反映させていただきます。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~travel-100years/index.html

 

レンタル掲示板
/7